自分とのつきあい方―自己肯定感について考える―

自己嫌悪で辛かったり、自分に自信が持てなくて悩んでいる方へ。

ひとり旅の効能

こんにちは。

今日は、ひとり旅のもたらす効能について。

何か強い負の感情を押し殺して生活していると、自分自身が感じていることや本当の気持ちというのが分からなくなってしまうということがあると思います。私は強い劣等感を誰にも話せずにずっと自分の心の中に溜めていたら、そのあまりにしんどい気持ちから自分を守るために本当の気持ちを無意識のうちに閉じ込めるようになってしまいました。

だから、「どうしたい?」とか「何がいい?」とか聞かれるのがすごく苦手でしたし、自分の進路や方向性についても本当の気持ちを無視していたように思います。

心の声を聴こうと意識し始めてからも、そううまくはいかなかったのですが、ひとり旅が大きなきっかけとなり少し変わったかな、という気がします。

ひとり旅って、とにかく自分がしたいようにするしかないんですよね。次自分がどうしたいか、だけで行動が決まる。ついつい他の人にどう思われるか、この場面ではどう行動すべきなのかばかり考えがちですが、そうじゃない時間を持つということはすごくすごく大切だと思います。

おすすめは、自然に触れること。ひとりだということ、自分が存在しているということを忘れるくらい美しい自然に出会うと、心から来てよかったなあと思います。東北の山地や南の離島の方が、都会よりよっぽどひとり旅に向いていると思います。

旅をしたら人と話さなきゃ!友達つくらなきゃ!みたいな風潮がありますが、私はひとりがいいのでたいていひとりで泊まります。ゲストハウスの個室なんか安くて好きです。この人との関わりを強制される感じこそ、ひとり旅のハードルを上げているのではないかと思っています。ぼっちは悪、人といるのは善という考え方は以前自分が縛られていたものですが、だからこそ異を唱えたい。またこれについていつか書こうと思います。

もしも、自分と世界との間に壁があるなあと感じたり自分の好きなようにふるまうということができていないと思ったりするなら、ぜひひとりでどこかに出かけてみてください。2泊3日くらいで十分楽しいです。

ではまた。今日も空は広い。

 

「怠惰理論」こそ今の日本に必要なものである

こんばんは。

今日は、Chris Davisという人の「怠惰理論」について。英語だと「Idle Theory」です。

「怠惰理論」とは、宇宙や世の中のあらゆる現象を怠惰という観点から説明する理論です。idletheory.infoというサイトに書いてあることをざっくりと要約してみましょう。少し長くなったので、大切なところを太字にしました。

 

私たちは日々、人生というのは忙しく活発に活動するべきものだと思っています。しかし、人間の生活や社会、技術、倫理、法律、また宗教などは全て労力をより少なくしようとしてきた結果生まれたものです。それならば、人生における義務というのは実は「何もしないこと」「怠惰に過ごすこと」ではないでしょうか。

人々は皆、自分の性質や環境によって完全なる怠惰と完全な忙しさの間のどこかにいます。忙しいということはすなわち、生存のためにたくさん働く必要があるということです。そういった人の方が生き残ることが難しく、生存のために働く必要のない人の方が生き残りやすいと言えるでしょう。進化論的に言えば、最も怠惰な人が最も生き残りやすく適応的であるということになります。

また、道具を作るということは人を怠惰にするということです。たとえばナイフができて、これまでよりも短時間で仕事が終わるようになれば、ナイフの使用は人をいっそう怠惰にすると言えるでしょう。全ての経済システムは、人を怠惰にするという目的を本来的に備えているのです。

より怠惰になるということは、生存可能性を高めることであり、自分を維持する以外の目的で時間を使えるようになるということです。「しなければいけないこと」ではなく「したいこと」ができるようになるのです。話したり考えたり遊んだり――。人は怠惰な時だけ「自由な行為者」となります。

アイドル・セオリー(怠惰理論)は、怠惰な時間をどう使うかには関与しません。怠惰な時間を増やす道具や交換システム、振る舞い方や法律を考えます。

そしてこれはまだ探求の途中で、絶対に正しいなどとは言いません。

 

いかがでしょうか。私はこの発想はとても素敵だと思います。日々「働かなきゃ」と追いつめられている日本人にとって、今一番必要な考え方ではないでしょうか。

もちろん、そうは言っても生活していかなきゃならないから実践は難しい、と私も思います。でも、逆に生きていくだけでいいなら話はもっと簡単になりそうです。誰かに養ってもらってもいいのだし、正社員になる必要だってないでしょう。

「仕事で自己実現をするべき」という考え方はまだ日本では根強いような気がします。でも、毎日8時間、またはそれ以上を仕事に費やす人生でいいのか?もっと自由に楽しく生きることはできないのだろうか?ということを本気で考えてみてもいいのだと思います。怠惰理論は、凝り固まった頭をほぐすのに最適です。

また、「自分は努力ができない」「頑張れない人間だ」という自己嫌悪も怠惰理論から見れば馬鹿馬鹿しいわけです。「努力」や「勤勉」が大切だという価値観に一辺倒に染まってしまっていいのかい?と、怠惰理論は問いかけているのだと思います。

自分が知らず知らずのうちに内面化している価値観を見直すことが、自己評価の見直しにつながります。これからも、新しい視点や考え方をくれるようなものを随時紹介していきたいと思っています。

今日も空は広い。

素のままで生きること

最近、「素のままで生きる」ことの素晴らしさに気が付きました。

素のままで生きるってどういうことかというと

・笑いたくない時には笑わない

・唐突でも帰りたいと思ったら帰る

・集団でいる時にも独りになりたい、と思ったらみんなと距離を置く

・行きたくないイベントは行かない

・したくない化粧はしない

といったことです。

要するに、本当はしたくないけれど人に嫌われないようにするためにしていることをしないのが「素のままで生きる」だと思います。

たとえばこの間、卒業式をぶっちしました。別に体は空いていたので行こうと思えば行けたのだけど、なんだか無性に行きたくなかったという理由です。親は着物をわざわざ送ってくれて、「写真楽しみにしているね」と言い、友達にも「ぜひ一緒に出ようよ」と言われていたので最初はちょっと罪悪感がありました。でも実際ぶっちしたらまず気分が爽快でしたね。やりたくないことをやらないだけでこんなにも清々しいものなのか!と驚きました。親や友人との関係が悪くなるということもなかったし、「らしくていいと思う」とさえ言われたので、ああこれでいいんだな、と思いました。

自分が本当はどうしたいのか、「素のまま」ってなんなのかがそもそも分からない、という方もいるかもしれませんね。でも、嫌だとかつまらないとか否定的な感情は、自分の素朴な感情であることが多いように思います。なので、それらを「そんなこと思っちゃだめなんだ」と拒絶せず、受け入れて従ってみるといいのではないかしら。好きなようにやっていても案外嫌われないものだなあ、と最近感じています。

今日も空は広い。

「勝ち組」「負け組」ってなんてださい言葉だろう

今日は、直接には自分自身への向き合い方とは関係ないお話です。

「勝ち組」「負け組」って言葉ってありますよね。私はあれが嫌いです。というよりもそういう基準でしか物事や人を見ないその感覚が嫌いです。

しかし、一方で「勝ち組」になって安定した収入を得たい、「負け組」になりたくないという気持ちもゼロじゃないんです。だから、その思いを吹っ切るためにこの記事を書きます。

皆さんの「勝ち組」のイメージはどういったものでしょうか。今だったら、大企業の正社員で安定していて、残業もそんなに多くない。または自分で起業し稼いでいる。結婚していて子どももおり、家を買い子どもを大学に行かせたりたまに旅行したり趣味に打ち込んだりする余裕がある、そんな「幸せのレール」に乗っているのがいわゆる「勝ち組」のイメージなのかな、と思います。お金と暇がそこそこあって、安定していて、家族がいる。要するにそういうことなんじゃないでしょうか。

でも、私はたとえお金が稼げても正社員でも満員電車の通勤や長時間労働は嫌です。都会も嫌。おいしい食べ物を食べるのに何万円もかかるようなのだって異常だと思います。別に自分の家がほしいとは思わないし、配偶者や子どもがほしいとも思わない。

そのレールから外れようとしている私を親切心から心配してくれる方もいますが、はっきり言ってなんて狭いものの見方しか持っていない人なんだろうと思います。私立大学に通う友人も、4年生の秋に就職が決まっていなかったから周りから腫れ物扱いを受けた、と言っていました。別にそういう幸せを求めるならそれはそれでいいことだと思います。でもあなたの基準で私の幸せを判断しないでほしい。その軸でしか世の中を見られないことが「ださい」んです。

私が幸せであるために必要なものは、ある意味ではすごく少ないしある意味ではすごく多いんだと思います。

昨日の朝日新聞の朝刊の4コマ漫画「ののちゃん」で、ののちゃんがお母さんに「将来何になりたい?」と聞かれて「わからない。私が大きくなる頃には働くということが大きく変わっているらしいから」と答えるシーンがありました。これまでの働き方を追い求める実際働き方や家族の形が大きく変わっている世の中で、より手に入りづらくなったこれまでの「幸せ」を追い求めるのもひとつの生き方です。私も、そうしなければいけないんだと大学3年生頃までは思っていました。でも、もっと人は自分に素直になっていいんじゃないかな。満員電車にイライラして乗っている方が、私から見たらよっぽど異常で不幸せです。

勝手に同情しないでください。きっとレールから外れるのが怖いんでしょう?私も少し恐怖は残っているけれど、でもやりたいようにやってみようと思っています。一番ださいのは、レールの上を羨ましいと思いながらそこに甘んじることもできない自分なので。

それでは今日はこのあたりで。今日も空は広い。(坂爪圭吾さんのブログの締めの言葉「人生は続く。」がかっこよすぎて真似をしてみました)

 

スーザン・ケイン『内向型人間の時代』【書評】

こんにちは。三寒四温とはこのことか、と実感する日々が続きます。

今日は、スーザン・ケイン『内向型人間の時代』という本を紹介します。彼女は同様の内容を短くまとめた講演をTEDでも行っているので、こちらもぜひ見てみてください。

スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」 | Talk Video | TED.com

彼女の主張は、ひとことで言えば「内向型には外向型と異なった良さがある。外向型ばかりをもてはやす傾向や、内向型を外向型に変えるような育て方は考え直さなければならない。」というものです。

現代では外向型であることは良い・内向型であることは悪いとされ、友達が少ない子どもは「異常なのではないか」と心配されたり、オフィスでは絶えずチームで話し合いながら考えることを強いられたりします。でも、著者によればアメリカ人の1/3~1/2は内向型なのだそうです。そして、赤ちゃんの頃にかなりの正確さでどちらかを見極めることができ、内向型・外向型というのは生まれ持った性質という部分が大きいようです。

そして、内向型は人が大勢いる場に出向いたりスピーチをしたりするのが苦手ですが、よく観察し、深く考え、またコツコツ物事に取り組むという長所も持っています。リーマンショックを予期した内向型の人は少なくなかったのに、外向型の人々はそれに耳を傾けなかった、ということをケインは述べています。また、外向型がたわいのない話を楽しむのが得意なのに対し、内向型は少数の人と本質的な会話をする傾向があります。書店で「雑談力」の本を見かけましたがこれなんてまさに「外向型になれ!」と言っているようなものですね。内向型の人はひとりで物事に取り組める環境で力を発揮することが多いのですが、そういった環境は学校でも職場でもなかなかないのが現状のようです。

一方、外向型のようにふるまうことが必要な場面も世の中にはありますが、そういう時にどうしたらいいかは徐々に学び、練習をしていけばいいのです。

私は20個のチェックリスト全てに当てはまった典型的な内向型ですが、この本を読んですごく安心しました。この性格は、もともとの刺激に対するストレスの程度が大きい身体的な仕組みになっているというところから来ている部分が大きく、別に自分が駄目なせいや努力をしてこなかったせいではない。当たり前ですがそれを再認識しました。スピーチや人付き合いの「技術」が習得可能だと思えたのも大きな変化でした。「自分はコミュニケーション能力がない」「人との付き合い方に問題がある」と思っている人には、ぜひ読んでほしいです。

 

この本から学べることは、内向型・外向型についての話だけではないと思います。様々な種類の人が世の中には存在し、どんな人にもそれぞれ良さがあること。一方社会が特定の人間ばかりを評価しがちであるために、自分の良さを殺して評価されるような人間のように無理して振る舞い疲れてしまう人や、自分はそういった人間ではないから駄目なやつなんだ、と自己嫌悪や劣等感に陥ってしまう人がいること。これは現代日本において非常に大きな問題だと思います。

日本の例を挙げると、ひとつの物事に継続して取り組むことが美徳であり、飽きっぽいことはよくないことだとされますよね。一方、たくさんのことに挑戦する人や、多くのことを同時に器用にこなすことができる人が「自分は努力ができない(から駄目なんだ)」と言うのを何度も耳にしました。

自分や他人の特性を認め、短所を直すのではなく長所を生かすためにはどうすればいいのかを考えること。その中で、短所そのものを改善するのではなくどうすればそれをカバーできるか考え、できる範囲で取り組む・取り組ませること。これができれば、「社会不適合者」なんて世の中にはいないんじゃないでしょうか。社会不適合を作りだしているのは、私たちの考え方なのだと思います。

あなたは社会不適合なんかではないし、素敵な長所をたくさん持っている。世の中の価値観というくだらない色眼鏡を通して自分を見ているせいで、それに気が付いていないだけ。

何度もこのブログで言っていることですが、これからも言い続けます。

今日も空は広い。

 

夕(ゆう)

MAIL: r921k4u@gmail.com

劣等感は実はめちゃくちゃ人を蝕んでいる

こんばんは。今日は、劣等感がいかに人を蝕むかについて。この蝕むという表現が本当にぴったりだと思います。

今も完全に自己肯定感を回復したわけではないですが、数年間持っていた強い劣等感みたいなものは少なくとも感じなくなりました。そうすると、自分でもびっくりするほど生活に変化が訪れました。

たとえば、人の顔を見られるようになった。

別に今まで全然見られなかったわけじゃないんですが、挨拶するときやパッと知り合いと顔を合わせた時、レジでおつりをもらう時、こういったふとした無意識の瞬間に人の顔を見ることができるようになりました。自分が思うよりずっとうつむいて生活していたというのもあるでしょうし、人より劣っているという感覚はやはり人を苦手にするんだなあとしみじみと感じました。

それから、食べなくても済むようになった。

これまで実はあればあるだけ食べてしまう習慣がありました。過食症までは行きませんが、食べるものがあれば本当に苦しくて動けないくらいまで食べちゃうので、太るし食費はかかるし自己嫌悪に陥るしで何もいいことがありませんでした。今は、まだ完全にそういうことがなくなったわけではありませんが、少なくとも「今は何も食べたくない」と感じる時間がぐーんと長くなりました。きっと劣等感が強かったころは、もう毎日毎時間毎分が辛い気持ち(自分の中で抑えていたので実感はしていませんでしたが)だったので、食べている時だけそれを忘れられるという状況だったんだと思います。それで、ひたすら食べてしまっていたんでしょうね。また、自分の心の声や体の声を聞くことが本当に難しかったです。聞いたら死にたくなってしまうから当然と言えば当然なのですが…。食べる量がかなり減った今、劣等感が自分で思っているよりも自分を蝕んでいたんだなあと改めて実感しびっくりしています。

このふたつは私の生活を本当に大きく変えました。生きるのがすごく楽になりました。

これらの経験から、人を蝕む劣等感は世の中からなくすべきものだと思っています。それができたら死んでもいい。具体的な方法はまだまだ模索中ですが、ブログももう少し頑張って書いていきたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願いします。

根本橘夫『なぜ自信が持てないのか 自己価値感の心理学』【書評】

こんばんは。今日は根本橘夫『なぜ自信が持てないのか 自己価値感の心理学』(PHP研究所、2007年)を読んだ感想を書きます。著者は東京家政学院大学の教授で、教育心理、性格心理を専攻にしている方のようです(当時)。

一言で言うと、読まなきゃよかった、と思いました。が、そんなにひどい本だという訳ではないんです。ただ、これは自己肯定感が低い人が読むのは危険だと思います。

前提となっている自己価値感について少し説明を。自己価値感とは、「自分に価値があるという感覚のこと」(p18)で、自信や自己肯定感、有能感などを含む概念だそうです。私は初めて聞きました。

で、問題なのは第一章で自己価値感がある人とない人の様子や行動を比較している部分ですね。問題といっても自己価値感がきちんとある人にとってはなんでもない話なんだと思います。努力の仕方や決断の方法、人生や他人に対する態度、考え方など様々な観点から比較が行われているのですが、そこを読んで私は死にたくなりました(笑)。自分は自己価値感のある人間には程遠いんだな、と思ったことと、自己価値感がない人間(すなわち自分)はこんなにいろいろな点で駄目な人間なんだな、と思ってしまったことが理由です。

たとえば、こんな箇所。「自己価値感人間は、外界と自分との関係を信頼しているので、関心や諸欲求が自己と外界へバランス良く向けられています。このために、彼らの価値観や判断・行動は偏りがなく、民主的・社会的価値と合致しています。(中略)いっぽう、自己無価値感人間は、自己価値を脅かされる不安と、無価値感を補おうとする強迫的な欲求に突き動かされて外界に接します。ですから、いつでも外界へ警戒的な態度をとり、人の目が気になることになり、自分自身のままでいることができません。自分を人と比べて値踏みするようにもなります。」(p43~44)

他の項目もこんな感じで、徹底的に自己価値感に低い人を批判しているように読めてしまいます。また、確かにそうかもしれないなと思う部分もあるんです。でもだからこそ余計に傷つくんですね。自分はだいぶ自己肯定感が回復したと思っていましたが、まだまだなんじゃないか、そしてこのままでは外界との接し方も、努力も人生も結局うまくいかないんじゃないか、そういう風に思ってしまいました。そして3日間ほど本当に落ち込んでいましたが、反撃のためにこのブログ記事を書いています(笑)。

また、自己価値感が低い理由は主に幼少期の頃の育てられ方にある、と著者は言っています。でも、本当の原因というのはそうそう分からないですし、それを鵜呑みにするのはまずい気がしました。

そして、一番大切と思われる第六章「自己価値感を修復する実践法」。そうそう、これが知りたいんだよ、と思いながらページをめくりましたが、それができたら苦労しないわ!の連続でしたね(笑)。列挙してみると

・自分と自分の人生を受け入れる

・無価値感を埋めるのではなく、幸福である努力をする

・幸福の条件の一つは周囲の人と心通わせあう生活。友だち、恋人、夫や妻、子ども、孫、両親など周囲の人に自分のそばにいてくれることを感謝し、素直に接する

・幸福の条件、もう一つは自分が心から満足できる行動をすること。趣味や仕事、ボランティアなどなんでもいい

・自分のこれまでを受け入れ、感覚、感情、欲求、衝動などをありのままに感じ、それを素直に行動に表す

・友情を大切にする、愛情を深める

・仕事に打ち込む

・良き相談相手を持つ

・転職など新たな一歩を踏み出す

もしかしたら参考になる人もいるかもしれませんが、私は少なくともまさに上に挙げたことができないから悩んでいましたし、今も悩んでいます。周りの人に素直に接したり感情を素直に感じて表現できたら誰もこんな自己嫌悪に陥らないんだって!(笑)。ただ方向性を明示してくれたのはよかったかな。これは自己価値感を得るための具体的な方法というよりは、目標として捉えるものだと思います。

ということで、自己肯定感をどうやったら得られるのだろうか、探求は続きます。