この1年で、生きるのがだいぶ楽になった理由を考えてみた。
今回は、4月からの1年間を振り返って感じたことを書こうと思います。この1年で、だいぶ生きるのが楽になりました。このブログでは偉そうにアドバイスみたいなものを書いていますが、自分はだめだなあと感じる瞬間もたくさんあります。でも、そういった時間が随分減って、自分らしく生きていいんだなあと思うことが増えました。
何がきっかけで楽になったか、と言われると少し難しいです。これがそう、と明確に言えるものがあるわけではありません。でも、いくつかきっとそうじゃないかなと思うことはあるのでそれを書いていきますね。
ひとつめは、海外に行ったこと。夏に少しだけイギリスに滞在していたのですが、その時に、国が違えば「できる人」の基準も、人生観も違うということを感じました。今まで自分はかなり狭い価値観の中で自分を判断してだめだと思っていたんだなあという風に思うと、なんだか自己肯定感が低くて悩んでいたことが阿呆らしくなりました。
もうひとつは、自分が尊敬する人に認めてもらうという経験をしたことでしょうか。何か無理をしている自分ではなくわりと素のままの自分をいいと思ってくれる人がいる、しかもそれが自分の尊敬できる人だというのはかなり嬉しいことでした。相変わらずそんなに友達が多い方ではないですが、自分がいいなあと思う人、気が合う人に好かれれば他の人にどう思われてもいいやと開き直ることができました。
あとは、ある程度無理やり今のところの目標を定めたことですね。何か目標があって、それに向かってやることが目の前にあるという状況は精神衛生上いいものかもしれません。私は人に向かって頑張れと言うのは好きではないですが、自分が頑張れるような環境を作るというのは案外重要かもしれないと思いました。客観的に見たら単なる自己満足であったとしても、少なくとも自分の気持ちにとってプラスになるならそれでいいんじゃないかなあと。
そんなこんなで、ここ1年ほどでだいぶ自分らしくというか、無理せずいられるようになったなあと思います。今までは、たとえば楽しい人や気が利く人など、自分から見てすごいなあという人は頑張ってそうしているか、何か努力してその能力を身につけたんだと思っていました。だから自分も頑張らなきゃ、と。それは私にとって当然の前提で、疑うこともしませんでした。でも、素直に自分の感想を言ったときとか、考えていることを話したときとか、そういうときの方が相手の反応がいいことが多いんですね。それに気が付いてから、今まで「こう言ったら意地悪な人・変な人だと思われるだろうな」と気にして言えなかったことを、だいぶ言うようになりました。もちろん分かってもらえないこともしょっちゅうあるのだけれど、案外分かってもらえることも多いです。今まで違う世界の人だと思っていた高校の同級生が分かってくれたりとかいうこともありました。
多分、私から見てすごいなあと思える人も、それが自然の姿で特に何か頑張っているというわけじゃないんじゃないかな。そういう人に追いつこうとして無理をするよりも、素のままの自分の良さを分かってくれる人を見つける方が大切だなあと思います。
多分外から見たらいわゆる「コミュ障」で鈍くさいのは変わっていません。素早いレスポンスは苦手だから、今日も何か言われて「あっ、」って何回言ったことか(笑)。あと服装や髪をきちんとするような女子力はどんどん下がっていってます(笑)。でもまあ、そんな私を面白いと思ってくれる、いいなと思ってくれる人がいるので、そういう人と楽しく生きていこうと今は思っています。
「個性」を見つけなきゃと焦らされる世の中ではありますが、別に何かキャラを立てたりすごく得意なものを見つけたりしなきゃいけないわけじゃない。そういう風に思うことが、かえって個性を失わせるような気がします。自分を変えようとするよりも、気が合う人を見つけて過ごすことの方が大切なんじゃなかろうか。そんなことを思った1年でした。
ではでは今日はこのあたりで。今日も空は広い。