自分とのつきあい方―自己肯定感について考える―

自己嫌悪で辛かったり、自分に自信が持てなくて悩んでいる方へ。

自分自身をむしばむような部活なんてやめてしまえ。

こんばんは。

このブログに、部活で検索してきてくれる方が結構いるみたいなので、今日は部活について書いてみようと思います。

中学校・高校だと、部活に入らなきゃいけない風潮ってありませんか?強制のところもまだ案外残っているみたいですし、そうでなくても一つの部活に打ち込むのが素晴らしい、みたいな暗黙の価値観が先生や親から刷り込まれているような気がします。

そして、いろいろな部活をころころ変える人はあまり良い印象を持たれなかったり、下手でも諦めずに頑張ることが素晴らしい、という雰囲気もあって、下手だから辞めるということがなかなか難しい状況があると思います。部活を辞めてしまった奴は根性がない負け組、みたいな価値観って結構強いですよね。私もそれを内面化してしまっていたために辞めることができずかなり苦しい思いをしました。

別に、ひとつの部活に打ち込むことはそれはそれで素晴らしいことだと思います。きっと得るものもたくさんあるでしょう。

でも、もう頑張り尽くしたけれど結果が出ないから辞めたい、しんどいと心の底から思っている時に辞められないというのは、ものすごく非効率的だと思います。その中で努力すれば確かに根性は身につくのかもしれないけれど、それと失う自己肯定感、時間、心の余裕、他のことにチャレンジする機会を比べると圧倒的に後者の方が大きいと実際に経験した私は思います。(「私の経験」のところに書いてあります)

部活がうまくいかなくて自分に絶望していたとき、私の世界は完全にモノトーンでした。生きているというリアルな実感や楽しい・幸せだという感情がなく、毎日車に轢かれたいと思いながら日々を過ごしていました。だから高校2年生から3年生の1年半くらいはほとんど覚えていません。ただ灰色の日々がぼんやり思い浮かぶという感じです。

だから、部活をもう少し辞めやすい世の中になったらみんなもっと生きやすくなるんじゃないかと思う訳です。頑張ればなんとかなるなんていうのは本当に頑張ったことのない人が言うことで、頑張ってもどうにもこうにも下手なままの人というのは一定程度います。不幸にも自分がもしそうだったのなら、それは自分には向いていなかったんだなと諦めて、他の自分が楽しめること、得意なことを探した方がいいに決まってます。その方が今の人生も楽しいし、これからにもつながるはず。

それに、部活に入っていない人の中にも素敵だなあと思える人はたくさんいます。それぞれの趣味を持っていたり、なんとなく自由な雰囲気があったりして、私はそういう人と話すのがすごく好きでしたし今でも好きです。何かを頑張らなければきちんとした人間になれないなんてただの幻想ですし、もっとゆるゆると生きて駄目な理由なんて何一つありません(この辺はpha著『ニートの歩き方』が説得力ある説明をしてくれています)。みんながなんとなくそう考えているっていうだけ。帰宅部でずっと本を読んでいたり、ギターの練習をしたりするというのも一つの素晴らしい学生時代の過ごし方だと思います。

「部活は絶対やった方がいい」「一つのことを諦めずに最後までやり遂げなければならない」なんて誰が決めた訳でもないことなのに、それに縛られて貴重な中学高校時代を無駄にしてしまうのはもったいなさすぎる。もっと自分がしたいこと、楽しい・かっこいいと思うことをやったらいいんじゃないかと大人になった今思います。もし昔の自分に会うことができたらそうアドバイスします。

だから、自分自身をむしばむような部活なんて辞めてしまえ。世界は広い。

 

夕(ゆう)

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