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自分とのつきあい方―自己肯定感について考える―

自己嫌悪で辛かったり、自分に自信が持てなくて悩んでいる方へ。

おすすめTEDtalks「傷つく心の力」

こんにちは。

今日は、おすすめのTEDtalksを紹介します。ブレネー・ブラウン「傷つく心の力」というスピーチです。

 

www.ted.com

 

ソーシャルワークの研究者である彼女は、心のもろさ、傷つきやすさが、人間が「自分には価値がある」「自分は愛されている」と感じることと大きく関係していることを調査の中で発見します。日々の中で感じる辛さ、苦しみ、恐怖といった感情を、「ビールとバナナナッツマフィン」で忘れたり麻痺させたりするのではなく、静かに向き合いながら自分自身をさらけ出すことが大切なのだと、多くのインタビューなどから分かったそうです。

人間にとって大切なことは、完璧であることではなく、完璧でない自分に優しくありながら、そんな自分をさらけ出すことだというメッセージが心に残りました。

確かに、自分のことが許せなかったときは、周りの人を自分より上に置きながらどこか恨んで許せない自分がいたと、過去を振り返って思います。しかも、そんな自分や自分の悪いところを絶対に人に見せまいと必死で、なんとか「普通」に見せようと毎日しんどい思いをしていました。

でも、考えてみれば、傷つくことってすごく大切なメッセージでもあります。たとえば、自分よりすごく進んでいるように見えて羨ましい人の話などを聞くとちょっと傷ついたりしますよね。でも、それこそ、今自分が一番大切にしていて、頑張りたいと思っていることなんだと、心が傷つくことでメッセージをくれていると考えると、やるべきことや進むべき道が見えてくるような気がします。

日本語の字幕でも十分に伝わりますし、話上手なので面白く、飽きずに聴けると思います。自分は愛されていないのではないか、と思う人、自分には価値がないのではないか、と感じる人は、ぜひ一度見てみてくださいな。

また、この方の本当の勇気は「弱さ」を認めることという本も出ているようですね。日本語訳もされているので、興味があれば見てみてください。

今日も空は広い。

眠れない夜を減らすために【ひとやすみコラム】

夜、眠れないともやもやとマイナス思考で考えてしまうことってありませんか。

私の場合、布団に入って2時間、3時間と眠れないことも多く、そういうときには本当に自分がだめな人間だという気がしますし、この後どうやって生きていけばいいものか、と途方に暮れてしまいます。そうすると次の日は体よりも神経が疲れていて、すごく疲れやすかったりしてまた自己嫌悪に陥る、という負のスパイラルが起こってしまったりします。

自己嫌悪から眠れないのではなく、眠れないから自己嫌悪になるのでは?と思っていろいろと眠る方法を調べたり試したりしましたが、その中でも特に効き目があったものを紹介したいと思います。

 

①カフェイン摂取量に気を付ける

カフェインを取ると眠れなくなるというのはよく知られていると思いますが、意外と多くの飲み物や食べ物に入っています。

まずはもちろんコーヒーやカフェラテ、それから紅茶。緑茶、抹茶、ほうじ茶もカフェインの多い飲料です。また、普段飲んでいるウーロン茶にも実は結構な量のカフェインが含まれています。それからココアやチョコレートにも入っていますし、ジャスミンティーにも少量ながら含まれます。

だいたい、眠りたい時間の2~3時間前くらいからはこうした飲料や食べ物を取らないように気を付けるだけで、ずいぶん眠りやすくなったと感じます。コーヒーやカフェラテなどは、5~6時間前くらいからやめるようにし、代わりにノンカフェインの麦茶、ルイボスティーハーブティーなどを飲んでいます。ハーブティーではカモミールが香りよく、飲みやすくてほっとするのでおすすめです。ローズヒップティーやフルーツティーなどは、酸っぱいことが多く砂糖を入れたくなってしまう(=太りやすそう)という個人的な理由ですが(笑)。

かつて、ノンカフェインの生茶を見つけて感動したことがあったのですが、今では見かけない…と思ったら、Amazonにはありました。お店ではなかなか見つけられないですが。

ちなみに、私はこのメスマーカモミールティーを愛用しています。日東紅茶のものより安く、美味しいように思います。夏なら、濃い目に入れて氷を入れてもいいですね。

 

 

②眠りたい時間の2~3時間前にシャワーを浴びる

シャワーを早めに浴びること、これが意外とよく眠れることに最近気づきました。これまではシャワーは基本的に寝る直前に浴びていたのですが、なるべく早めにするようになってから、自然と眠気がくるような気がします。12時に寝たかったら、9時か10時にはシャワーやお風呂に入るようにするといいと思います。

③眠りたい時間の2~3時間前からは明るい画面を見ないようにする

といっても、忙しい方にはなかなか難しいと思います。私自身家や仕事でパソコンをよく使うのですが、休憩を取り画面から目をそらす、夜は明るさを低くするなどの工夫をすると、少し違うような気がします。また、スマートフォンなどの明るさも結構強いですから、夜は明るさを一番低くして使っています。iPhone7には夜に眠りやすい暖色系の色にするモードなどもあり、感動しました。

④夜は部屋の照明を暗めにする

LEDの照明などは、明るさの調節ができたりしますよね。細かい文字を読むとかでなければ、夜は50%~30%くらいの明るさにしても意外と不便はありません。また、仕事場でも使っていない部分の電気は消して、最小限の明るさにすると、やはり落ち着いて眠れるような気がします。

だいたい、これくらいのことに気を付けていれば、毎晩眠れない、というようなことはあまりありません。もちろん眠れない日はあることはあるのですが、次の日はすぐに眠れることが多いです。眠れない日が続くときは、たいていこのどれかができていないですね。

意外と小さなことで体や心の状態は変わります。騙されたと思って、やってみてくださいね。

今日も空は広い。

「仕事ができる」ってなんだろう?

いつも見てくださって、ありがとうございます。

今回は、「仕事ができる」という褒め言葉について、疑問に思うことを書きます。

「あの人、仕事できるよね」「今度の後輩がほんと、仕事できなくて困る」といったように、私たちは日々「仕事ができる」「仕事ができない」という言葉を使って人を褒めたりけなしたりしています。なんだか、「仕事ができない」と言われると、全人格を否定されたような気になるのは私だけでしょうか。存在価値がない、と言われているような辛さを覚えます。

でも、じゃあその「仕事ができる」ってどういうことだろう?と考えてみると、社会人経験のない私が語るのもなんですが、大体次の3つくらいなんじゃないでしょうか。

①物事をミスなく、効率よくできる

②人にいい感じを与える気遣いやふるまいができる

③新しい企画や工夫を思いつくことができる

いかがでしょうか。もっと他にある、という声もあるかもしれませんが、まあいったんこの3つとして考えてみたいと思います。

では、なぜ仕事においてこの3つが大切なのか?

結局のところ、会社や組織に金銭的な利益を与えるためなのではないか、と私は思っています。①はコストを減らすため、②③は売り上げを伸ばすために重要なことですね。人間関係は契約につながりますし、新しい企画も、基本的にはそれが利益になる限りにおいて、認められるものですよね。

もちろん、そうではない領域というのは存在するでしょう。学校の先生や福祉に携わる人にとっては、「仕事ができる」というのは少し違う意味合いを持つかもしれません。

でも、たとえば相談業務でも、本当に親身になって相談を受けて、結果として長い時間を相手のために費やす、というのが毎回の人というのは、周囲から白い目で見られたりしますよね。もし仕事において一番大切なことが「他の人のためになることをする」なら、いくら時間がかかっても親身になって相談を受ける人が最も「仕事ができる」のではないでしょうか?

しかも、仕事の場だけでなく、それ以外の人間関係にもこうした価値観というのは入り込むことがあるように感じます。私たちは、日々の中で友人や自分自身をこうした「仕事ができるか」という観点で測ることがあるのではないでしょうか。

つまり、私たちは、お金を稼げるか、またはお金を組織に稼がせることができるか、という観点で人の価値をある程度測っているのだ、というのがここで言いたいことです。そうして、本当にそれでいいのだろうか?ともっとみんな疑問に思ってもいいんじゃなかろうか、と思っています。なんだか、すごくせちがらくて、生きづらい。窮屈な感じがします。

じゃあ、もし、お金がなくても生きていける世の中だったらどうでしょう?月5000円くらいあれば必要な衣食住が賄えて、働いてもいいし働かなくてもいい、そんな状況だったら、私たちは少なくとも自分を資本主義的な価値で測る必要がなくなるのではないでしょうか。最低限生活していくのにお金がかかるから、たくさん働かなければいけなくて、自分の「仕事のでき」や位置を常に確かめなければいけない。もしお金がなくても生きていけるとなったら、別に仕事ができようができなろうが大して気にしなくなるかもしれません。

たとえば、自分で畑を持ったとして、それでもたくさん、効率よくできた方がいいと思うんじゃないの、と言われるかもしれません。でも、仮に自分ひとりが食べる分だけ作って、他の人に売ることを考えないのであれば、効率のよさを追求する必要もあんまりありません。技術の進歩した現代では、生きていくだけならば、別に効率よくなくたって、特に問題ないような気がします。

日本がかつてのような経済成長をすると期待できない現代では、いかに金を持たずに暮らすか?が大切になってくるような気がします。グローバル化した経済は不安定ですし、お金がないと生きていけないのでは、何かあったときにすぐ死んでしまいます。

だから、これからは「シェア」や「自給」がアツいんですね。ちなみにアメリカや他の先進国では、「たくさん働いて、たくさん消費する」というお金をたくさん使う考え方は「時代遅れ」だと考える人も多いです。環境の持続可能性という点から考えても。

たとえば、多くの先進国には「タイムバンク」と呼ばれる仕組みがあったりします。誰かに何かをしてあげた時間と同じだけの時間、自分も何かをしてもらうことができる時間通貨の概念です。1時間ガーデニングをしてあげるから、1時間ベビーシッターをしてもらう、ということが、お金を介さずにできるわけです。英語のサイトですが、詳しくは以下にあります。

hOurworld Directory of TimeBanks, Community Directory: An International Network of Hour Exchanges (time banks)

欧米ではかなり広がっており、先進国でこの仕組みがないのは日本くらいのようですね。また、安く旅行できる仕組みも最近はいろいろとあります。Airbnbはよく知られていますが、カウチサーフィンというような、もっと安く人の家に泊まれる制度もあります。日本では利用者が少ないようです。

 

www.airbnb.jp

www.couchsurfing.com

 

ある程度人数がいるなら、一軒まるごと借りられるHomeawayなどを使うと、かなり安く済みそうです。大人数なら、ひとり1000円から2000円程度でかなり快適に泊まることもできます。(ホームアウェイで世界100万軒以上の家から、あなたの休日にピッタリの家を見つけよう!

きっとそのうち、お金がかかって環境に悪いやり方は「かっこ悪い」という時代が来るような気がします。そのときのために、今から少しずつできることをやるのもいいんじゃないかな、と。そしてその方が、自分の価値というものをはっきりと認識できるのではないか、と私は思っています。

それでは今日はこの辺で。今日も空は広い。

 

障がい者施設殺傷事件を見て、「優生思想だ」という前に

こんにちは。

今日は、障がい者施設殺傷事件についてこの間感じたことを書いていきます。

まず、多くの方の人生を奪い、当事者の方・障がいを持つ方に肉体的・精神的に大きな傷を負わせた今回のような事件が二度と起こらないように願っています。また、そのために努力していく義務が私を含めた日本人にはあると思っています。

そのうえで、いくつかの議論を見ていて疑問に思ったことを。

加害者を生み出した社会について批判する声の多くは、今回の事件が優生思想に基づいたものであり、ヒトラーに通ずるものがあると述べています。加害者に限らず私たちの社会にはそうした考え方がある、という議論です。

私は、この話自体に反対するわけではありません。確かにその通りだと思いますし、優生思想は撲滅すべきものであると思います。

 

ですが、少なくとも人文科学・社会科学に携わる方々からは、「そもそも障がい者が健常者より劣っている・役に立たないという考えがおかしい」という話が出てしかるべきだと思っていました。私は今のところそうした意見を見ていません。優生思想を批判する人は、障がい者が健常者よりも「役に立たない」ことを前提として、「でもそのような差別をしてはならない」「そのような人にも生きる価値がある」と言っているように思えます。

優生思想だけでは、今回の犯罪は起こりません。仮に人を「役に立つ」「役に立たない」で判断したとしても、現在障がいを持っているとされている人々の方が、見方によっては自分よりも「役に立つ」「素晴らしい」人間である可能性をなぜ考えないのか、というのが私の疑問です。以前の記事でも書いたように、私の叔母は軽い「精神障害」とされています。でも、その純粋さや悪意のなさ、心の優しさは私がこれまでに会ったどんな人よりも優れていると思います。もしもそうした価値が高く評価され、そのような人々の方が稼ぐことのできる世の中であれば、叔母が健常者であり私は障がい者かもしれません。

また、「自閉症の僕が生きていく風景」というコラムを雑誌『BIG ISSUE』に連載している東田直樹さんの『風になる』という著書を読んだことがあります。そのときに感じたのは、彼の体験している世界は私にはどんなに頑張っても経験不可能で、自然や世界と一体化する力でいえば彼の方が圧倒的に優れている、ということです。それは敬服すべき才能だと思います。それに、私は彼の本を読んで非常に勇気づけられました。私にとって東田さんは、ひょっとするとその辺の普通の人よりも「役に立」ったんです。

私たちの個性はでこぼこで、ひとりひとり形が違う。その中で、たまたま今の世の中で稼げるような形に近い形が「優れている」とされ、まったく合わなければ「障がい」とされる。近年「大人の発達障害」「うちの子、アスペルガーかも?」といった、グレーゾーンが注目されていますが、世の中が世知辛くなり、これまでは多少手際が悪くたって、コミュニケーションでうまくいかないことが多くたって許容されてきたのがそうではなくなってきた、ということでしょう。そうした障がいの社会的構築という側面を、優生思想と少なくとも同じくらいには強調するべきなのではないか、と私は考えます。

 

たとえば、立岩真也さんは優生思想を批判し「できる人が得をするのは当然だ、できることにおいて価値があるというこの近代社会の「正義」がこの思想を助長している」と述べています(http://www.arsvi.com/ts/20160028.htm)。この場合の「できる」の意味が絶対的・普遍的なものではなく、たまたま今の世の中で(多数派の)人々がそう考えている価値観であるというだけなのだ、ということを強調する必要があります。真の意味で「できる」人など存在しませんし、もっと言えば、仕事は効率よくできるけれど意地悪だったり、見えないところでは徹底的にずるくやる人が「できる」人とされている社会っておかしいですよね。でも、私たちの社会はそうなりつつあるのではないかという気がします。そういうことを言わずに「障がい者(=できない人)にだって生きる権利がある」と言うのは、健常者=優、障がい者=劣という図式を再生産する危険性をはらんでいるのではないでしょうか。

もちろん、優生思想を批判される方からすればそんなの言うまでもないことであるから言っていないだけで、当然だろうと思われる方が大半なのだと思います。でも、今回の事件で分かるように、私たち若者には、言わなければ分からないんです。就活での成功・失敗が人間の価値を決めるかのような錯覚を起こしているくらいですから。

また、もちろん私は、障がいなんて個性なんだから健常者と同じ土俵で勝負しろ、と言っているのはありません。現実社会では、障がいと認められることで金銭的にも心理的にも生きやすくなるという人が大勢いることも知っているつもりです。でも、それは同時に社会が「あなたはできない(のだからしょうがないね)」と烙印を押すことでもあります。その烙印が生きていくための助けになることも多いでしょうが、すべての人に基本的人権として最低限の生活が保障されていれば、障がいという烙印なんてそもそも必要ないのだということを、社会を設計する人間が忘れてはならないと思います。また、そうした観点に立たなければ、グレーゾーンの問題はいつまで経っても解決されません。

きっと数百年後、もしかしたら数千年後の私たちは貧困も障がいもない世界に生きていて、「『働かざる者食うべからず』なんて野蛮な考え方が昔はあったんだって、ありえないよね」と笑っているはずです。そこを目指すのが、人文・社会科学系の学問の役割なのではないでしょうか。

 

最後に。東田直樹さんの本は『BIG ISSUE』を売っているおっちゃんたちから買うことができます。興味を持ったら、ぜひ街角で聞いてみてください。

長い文章になりましたが、読んでくださってありがとうございました。

今日も空は広い。

 

なんで女子はメイクしなきゃいけないの?【ひとやすみコラム】

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アメリカ州の先住民族 - Wikipediaより)

 

こんばんは。更新頻度が相変わらずマイペースな夕です。

今日は、なぜ女性はメイクをしなければいけないのかについて。

女性は仕事の時や外に出るときはメイクをする必要がありますよね。どんなに面倒くさくてもメイクなしで外出なんてありえない、という方も多いのではないでしょうか。

もちろん、メイクをしたくてしている人もたくさんいますよね。した方が魅力的に見えるなどのポジティブな理由でするメイクはきっと楽しいものでしょうし、いいなあと思います。

でも、私はしたくありません。メイクをした自分の方が魅力的だとは思いませんし、肌が呼吸できなくて辛い感じがします。そもそも人に「かわいい」「きれい」だと思われたりするのには違和感があるし、誰かに向かって女性的な魅力をアピールしたいとも思わない。

 

では、したくない人がしない自由はなぜないのでしょうか。公の場にすっぴんでいくと「常識がない」「失礼だ」と言われてしまいます。面と向かっては言われないかもしれないけれど、そう思われる方が結構いるというのは事実ですよね。

メイクをしなければいけない理由として、「最低限の身だしなみ」だと言われることもありますよね。外にパンツ一丁で出ないように、お葬式に黒い服を着ていくように、そうすることが当然のマナーなんだと。

でもそうだとしたら、なぜ女性だけメイクをしなければならないんでしょうか?なぜ男性はメイクをしなくてもマナー違反じゃないの?女性だけがメイクをしなければならない合理的な理由って一体何なんでしょうか。メイクが必要なほど、女性のすっぴんは男性よりだめなの?そんなわけないですよね(笑)

少なくとも現代社会においては、女性だけがメイクをしなければいけないきちんとした理由というのはないと私は思っています。歴史をたどればいろいろと経緯があるのかもしれませんが、今の時点では明らかに非合理的です。お葬式のように、悲しみの気持ちを表すといった意味があるならまだ分かるのですが、そういった理由でもないでしょう。実際に学校で中学生や高校生がメイクしていくと怒られるわけですし。

 

それに、メイクをしたい男性だっているかもしれません。実際アイドルなどでは化粧している人もいますよね。でも現実社会で男性がメイクをしていくと気持ち悪い、と言われてしまうというのはひどい話です。「女は化粧をし、男はしない」という単なる思い込み、色眼鏡が「正しい」とされている世の中なんだと思います。よくアフリカなどの部族の写真で男声が顔にペイントしているのを見たりしますよね。いつでもどこでも普遍的に女性だけがメイクするわけではありません。もちろん男・女を完全に二分して考えること自体がそもそもどうなのか、という話もありますが、ここでは突っ込みすぎないことにしましょう。

 

というわけで、男女関係なくしたいときにメイクをし、したくないときにメイクをしない社会が理想的だと私は思います。そうすればだいぶ楽になる女性も多いんじゃないかなあ。

とは言いながら、お仕事の時はなんやかんや言われたくないという理由でメイクをしてしまう肝の小さい私です。もっと自分を貫く覚悟を持ちたいものですね。

それでは今日はこの辺で失礼します。今日も空は広い。

 

 

 

 

 

 

自分の長所はつまらないもので、短所は致命的だと思いがちな人へ

 こんにちは。

今日は、自分の長所と短所をどう捉えるかについて。

自分の長所と短所について、誰でも何かしらの考えを持っていると思います。自分は真面目だけれど人見知りだ、とか、コミュニケーションは得意だけど物事を続けるのが苦手だ、とか、きっと自己肯定感が低い人も高い人も何かしらの長所と短所を認識しているはずです。

でも、自己肯定感が高い人と低い人の間には、その長所と短所が世の中でどう評価されるかについての考え方の違いがあるそうです。自己肯定感が高い人は、生きていくうえで自分の長所は役に立つもので、短所は大したことのないものだという風に考えます。反対に、自己肯定感が低い人は、自分の長所はつまらないもので、短所は生きていくうえで致命的だと思い込みがちです。(『自己評価の心理学』より)

でも、当たり前だけど、本当は世の中で何が大事で何が大事でないかなんて誰にも分っていません。いろいろな見方や意見はあふれています。コミュニケーション能力だったり、生きる力だったり、地頭の良さ、地道に継続する力、いろいろな人がいろいろなことを言っています。

特に、「成功する人はこういう人だ!」「こういう人になってはいけない!」みたいな本はすごくたくさんありますが、あんなのは成功した後から適当に理由を探しているだけだと考えることもできます。逆の見方をすれば、すべては運で決まっているのに、何かしら成功を正当化するためにそういうことを言っている可能性もありますよね。

実のところ何が世の中で必要な力かなんて分かりようがない。明確な指標なんて存在しないのだから、どうせなら自分に都合よく解釈した方が人生楽しく生きることができるわけです。そう簡単にはいかないかもしれませんが、少なくとも自分が今信じている「世の中」は本当かを疑ってみることはできるのではないでしょうか。

私は自分のことが嫌いだったとき、手先が不器用なことが本当に致命的な欠点だと思っていました。でもそんなの気にしないで笑って許してくれる人ってたくさんいるんだなという当たり前のことが分かってからは、なんてばかばかしい思い込みだったんだろうと思います(笑)。でもそんなことを本気で信じてしまうくらいに、自分が嫌いだという思いに捉われていたんだなあと思うと、自己嫌悪って怖いです。

少しでも違う見方があると思えれば、だいぶ気楽になるはず。どうか、自分を責めすぎないでくださいね。

今日も空は広い。

 

ベーシック・インカムがあったらいいなと私が思う理由

こんにちは。最近脈絡なく書きたいことばかり書いていますが、今日もそんな感じです。

 

私は、もし実現できるならベーシックインカムがあったらいいなと思っています。ベーシックインカムは、収入に関わらずすべての人に最低限の生活費を支給する福祉政策のことですね。オランダの一部の地域では実験的に取り入れられています。

私がそう思うようになったひとつのきっかけは、叔母の話です。私には働いていない叔母がいます。詳しいことは記憶が違うかもしれませんが、彼女は「精神障害」か「鬱病」と診断されており、祖父母と一緒に住んでいます。私の実家と祖父母の家は近くにあってよく行き来するので、小さいころから叔母のことはよく知っています。

叔母は、仕事をしても長く続きません。詳しいことはあまり聞いたことがありませんが、「心の病気」のためだと親からは聞かされていました。でも、私から見た叔母はどこにでもいる、いたって普通の女性です。コミュニケーションができないとか、日常生活を送ることができないとかそんな感じでは全くありません。

実際、一度仕事を少しずつして自分でためたお金でアメリカに旅行に行っていて、全く働けないわけではないんだと思います。ただ、続けることができないみたいで、私なりにその理由として思い当たることがあります。叔母は純粋で優しくて、誰の中にもあるような悪意や計算高さみたいなものが全くない人なんですね。共働きの両親をよく手伝ってくれ、私たち姪にもすごく良くしてくれます。彼女はどうしたら相手が喜ぶかとてもよく考える人です。でも、どうしたら物事が効率的に運ぶかとか利益が出るかとかそういうことはあまり考えません。たとえば犬の散歩に行くにしても、私たちだったらある程度の時間で切り上げようとして急いだり犬が遊びたそうにしているのを引っ張ったりしますが、叔母は何時間でも犬に付き合って散歩してあげるんですよね。

たぶんそういうところが少しトロく見えてしまって職場では怒られることが多く、でも彼女は人に怒ったり冷たくしたり、そういう感情を自分が持たないから、それが本当に怖くてつらいことなんだと思います。それで耐え切れず続けることができないんじゃないかなあと。

アメリカに行ったあとに役所の人に言われたそうです。「アメリカに行けるのなら健康なのではないのではないか」と。それは本当にその通りで、彼女は障害なんかではなくて、少し優しすぎる、またおっとりしているので今の利益重視の忙しい世の中では合う仕事の環境がなかなか見つからない、ただそれだけなんだと私は思っています。でも、働けないから何か病気や障害ということにするしかなかっただけなんだろうと。

ただそのときに、健康なんだからと今までもらっていた傷害(障害?)年金が一気に減らされたそうです。今は祖父母と一緒に暮らしているのでなんとかなっていますが、祖父母が亡くなったときには彼女は独りでは生きていくことができません。そのときどうなるのかは正直今は分かりません。

 

私は、叔母のような人が普通に安心して暮らせる世の中になってほしいと心から思います。ちょっと人と違った性質を生まれ持ったからといって安心して普通に生きていくことができないというのはひどい。でもそれが今の日本社会だと思います。

彼女を甘えているとか頑張れないとか言うのはおかしい、だって同じ「怒られる」ということでもそれに対して感じる恐怖や辛さが全く違うのだから。そして、労働環境が経済状況やそこで働く人などいろんな要因によって簡単に変わりうるから、彼女のような人が絶対に安心して働ける場を作るというのも不可能です。だから、ベーシックインカムが一番いいんじゃないかということになるわけです。

 

不可能だとかみんな働かなくなるんじゃないかとかベーシックインカムに対する反論はいろいろとあるでしょうが、試している国もあるのだから、私たちももう少し本気で考えてみてもいいんじゃないでしょうか。

 

今日も空は広い。