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自分とのつきあい方―自己肯定感について考える―

自己嫌悪で辛かったり、自分に自信が持てなくて悩んでいる方へ。

障がい者施設殺傷事件を見て、「優生思想だ」という前に

こんにちは。

今日は、障がい者施設殺傷事件についてこの間感じたことを書いていきます。

まず、多くの方の人生を奪い、当事者の方・障がいを持つ方に肉体的・精神的に大きな傷を負わせた今回のような事件が二度と起こらないように願っています。また、そのために努力していく義務が私を含めた日本人にはあると思っています。

そのうえで、いくつかの議論を見ていて疑問に思ったことを。

加害者を生み出した社会について批判する声の多くは、今回の事件が優生思想に基づいたものであり、ヒトラーに通ずるものがあると述べています。加害者に限らず私たちの社会にはそうした考え方がある、という議論です。

私は、この話自体に反対するわけではありません。確かにその通りだと思いますし、優生思想は撲滅すべきものであると思います。

 

ですが、少なくとも人文科学・社会科学に携わる方々からは、「そもそも障がい者が健常者より劣っている・役に立たないという考えがおかしい」という話が出てしかるべきだと思っていました。私は今のところそうした意見を見ていません。優生思想を批判する人は、障がい者が健常者よりも「役に立たない」ことを前提として、「でもそのような差別をしてはならない」「そのような人にも生きる価値がある」と言っているように思えます。

優生思想だけでは、今回の犯罪は起こりません。仮に人を「役に立つ」「役に立たない」で判断したとしても、現在障がいを持っているとされている人々の方が、見方によっては自分よりも「役に立つ」「素晴らしい」人間である可能性をなぜ考えないのか、というのが私の疑問です。以前の記事でも書いたように、私の叔母は軽い「精神障害」とされています。でも、その純粋さや悪意のなさ、心の優しさは私がこれまでに会ったどんな人よりも優れていると思います。もしもそうした価値が高く評価され、そのような人々の方が稼ぐことのできる世の中であれば、叔母が健常者であり私は障がい者かもしれません。

また、「自閉症の僕が生きていく風景」というコラムを雑誌『BIG ISSUE』に連載している東田直樹さんの『風になる』という著書を読んだことがあります。そのときに感じたのは、彼の体験している世界は私にはどんなに頑張っても経験不可能で、自然や世界と一体化する力でいえば彼の方が圧倒的に優れている、ということです。それは敬服すべき才能だと思います。それに、私は彼の本を読んで非常に勇気づけられました。私にとって東田さんは、ひょっとするとその辺の普通の人よりも「役に立」ったんです。

私たちの個性はでこぼこで、ひとりひとり形が違う。その中で、たまたま今の世の中で稼げるような形に近い形が「優れている」とされ、まったく合わなければ「障がい」とされる。近年「大人の発達障害」「うちの子、アスペルガーかも?」といった、グレーゾーンが注目されていますが、世の中が世知辛くなり、これまでは多少手際が悪くたって、コミュニケーションでうまくいかないことが多くたって許容されてきたのがそうではなくなってきた、ということでしょう。そうした障がいの社会的構築という側面を、優生思想と少なくとも同じくらいには強調するべきなのではないか、と私は考えます。

 

たとえば、立岩真也さんは優生思想を批判し「できる人が得をするのは当然だ、できることにおいて価値があるというこの近代社会の「正義」がこの思想を助長している」と述べています(http://www.arsvi.com/ts/20160028.htm)。この場合の「できる」の意味が絶対的・普遍的なものではなく、たまたま今の世の中で(多数派の)人々がそう考えている価値観であるというだけなのだ、ということを強調する必要があります。真の意味で「できる」人など存在しませんし、もっと言えば、仕事は効率よくできるけれど意地悪だったり、見えないところでは徹底的にずるくやる人が「できる」人とされている社会っておかしいですよね。でも、私たちの社会はそうなりつつあるのではないかという気がします。そういうことを言わずに「障がい者(=できない人)にだって生きる権利がある」と言うのは、健常者=優、障がい者=劣という図式を再生産する危険性をはらんでいるのではないでしょうか。

もちろん、優生思想を批判される方からすればそんなの言うまでもないことであるから言っていないだけで、当然だろうと思われる方が大半なのだと思います。でも、今回の事件で分かるように、私たち若者には、言わなければ分からないんです。就活での成功・失敗が人間の価値を決めるかのような錯覚を起こしているくらいですから。

また、もちろん私は、障がいなんて個性なんだから健常者と同じ土俵で勝負しろ、と言っているのはありません。現実社会では、障がいと認められることで金銭的にも心理的にも生きやすくなるという人が大勢いることも知っているつもりです。でも、それは同時に社会が「あなたはできない(のだからしょうがないね)」と烙印を押すことでもあります。その烙印が生きていくための助けになることも多いでしょうが、すべての人に基本的人権として最低限の生活が保障されていれば、障がいという烙印なんてそもそも必要ないのだということを、社会を設計する人間が忘れてはならないと思います。また、そうした観点に立たなければ、グレーゾーンの問題はいつまで経っても解決されません。

きっと数百年後、もしかしたら数千年後の私たちは貧困も障がいもない世界に生きていて、「『働かざる者食うべからず』なんて野蛮な考え方が昔はあったんだって、ありえないよね」と笑っているはずです。そこを目指すのが、人文・社会科学系の学問の役割なのではないでしょうか。

 

最後に。東田直樹さんの本は『BIG ISSUE』を売っているおっちゃんたちから買うことができます。興味を持ったら、ぜひ街角で聞いてみてください。

長い文章になりましたが、読んでくださってありがとうございました。

今日も空は広い。