自分とのつきあい方―自己肯定感について考える―

自己嫌悪で辛かったり、自分に自信が持てなくて悩んでいる方へ。

ベーシック・インカムがあったらいいなと私が思う理由

こんにちは。最近脈絡なく書きたいことばかり書いていますが、今日もそんな感じです。

 

私は、もし実現できるならベーシックインカムがあったらいいなと思っています。ベーシックインカムは、収入に関わらずすべての人に最低限の生活費を支給する福祉政策のことですね。オランダの一部の地域では実験的に取り入れられています。

私がそう思うようになったひとつのきっかけは、叔母の話です。私には働いていない叔母がいます。詳しいことは記憶が違うかもしれませんが、彼女は「精神障害」か「鬱病」と診断されており、祖父母と一緒に住んでいます。私の実家と祖父母の家は近くにあってよく行き来するので、小さいころから叔母のことはよく知っています。

叔母は、仕事をしても長く続きません。詳しいことはあまり聞いたことがありませんが、「心の病気」のためだと親からは聞かされていました。でも、私から見た叔母はどこにでもいる、いたって普通の女性です。コミュニケーションができないとか、日常生活を送ることができないとかそんな感じでは全くありません。

実際、一度仕事を少しずつして自分でためたお金でアメリカに旅行に行っていて、全く働けないわけではないんだと思います。ただ、続けることができないみたいで、私なりにその理由として思い当たることがあります。叔母は純粋で優しくて、誰の中にもあるような悪意や計算高さみたいなものが全くない人なんですね。共働きの両親をよく手伝ってくれ、私たち姪にもすごく良くしてくれます。彼女はどうしたら相手が喜ぶかとてもよく考える人です。でも、どうしたら物事が効率的に運ぶかとか利益が出るかとかそういうことはあまり考えません。たとえば犬の散歩に行くにしても、私たちだったらある程度の時間で切り上げようとして急いだり犬が遊びたそうにしているのを引っ張ったりしますが、叔母は何時間でも犬に付き合って散歩してあげるんですよね。

たぶんそういうところが少しトロく見えてしまって職場では怒られることが多く、でも彼女は人に怒ったり冷たくしたり、そういう感情を自分が持たないから、それが本当に怖くてつらいことなんだと思います。それで耐え切れず続けることができないんじゃないかなあと。

アメリカに行ったあとに役所の人に言われたそうです。「アメリカに行けるのなら健康なのではないのではないか」と。それは本当にその通りで、彼女は障害なんかではなくて、少し優しすぎる、またおっとりしているので今の利益重視の忙しい世の中では合う仕事の環境がなかなか見つからない、ただそれだけなんだと私は思っています。でも、働けないから何か病気や障害ということにするしかなかっただけなんだろうと。

ただそのときに、健康なんだからと今までもらっていた傷害(障害?)年金が一気に減らされたそうです。今は祖父母と一緒に暮らしているのでなんとかなっていますが、祖父母が亡くなったときには彼女は独りでは生きていくことができません。そのときどうなるのかは正直今は分かりません。

 

私は、叔母のような人が普通に安心して暮らせる世の中になってほしいと心から思います。ちょっと人と違った性質を生まれ持ったからといって安心して普通に生きていくことができないというのはひどい。でもそれが今の日本社会だと思います。

彼女を甘えているとか頑張れないとか言うのはおかしい、だって同じ「怒られる」ということでもそれに対して感じる恐怖や辛さが全く違うのだから。そして、労働環境が経済状況やそこで働く人などいろんな要因によって簡単に変わりうるから、彼女のような人が絶対に安心して働ける場を作るというのも不可能です。だから、ベーシックインカムが一番いいんじゃないかということになるわけです。

 

不可能だとかみんな働かなくなるんじゃないかとかベーシックインカムに対する反論はいろいろとあるでしょうが、試している国もあるのだから、私たちももう少し本気で考えてみてもいいんじゃないでしょうか。

 

今日も空は広い。