自分とのつきあい方―自己肯定感について考える―

自己嫌悪で辛かったり、自分に自信が持てなくて悩んでいる方へ。

仕事=人の役に立つこと なんて嘘だと思う

普段書いていることとは少し離れるけれど、今日は仕事について。

私は、仕事をしている人は社会貢献をしているみたいな考えは嘘だと思う。

だって、本当に必要なサービスは仕事にならないから。

たとえば、普通の塾で働くことは仕事になる。でも、本当にお金がない生活保護家庭の子どもは塾に行くことができないから、今は行政がボランティアを募集してやっている状況で。そういう子どもの力になりたいと思ってもボランティアでしかできない。生まれた家のお金の有無によって将来が大きく制限されてしまうという現実をなんとかしようとすることは、お金にならないから、仕事にならない。

世の中ってそういうものだと思う。お金がある人のためのサービスは仕事になるけれど、そうでない人のためのサービスは仕事にならない。要するに、みんなが仕事って言っているものは結局お金を稼ぐことなんじゃないかな。

貧困とかそういうのは行政がやってくれるでしょ、行政で働けばいいじゃんって思うかもしれないけれど、そんなに簡単ではなくて。行政もお金がない時代、生活保護なんてどんどん減らして、生活保護を切り捨てた人が「自立させた」として昇進するような社会に今はなっている。公園のベンチにホームレスの人が寝られないようにするために手すりをつけたりするのもそうだよね、私には行政がやるべきことと逆のことをしている社会に見える。

時々、生活保護を受けてボランティアをする方が、会社で働くよりもよっぽど人の役に立てるんじゃないかって思うこともある。物が余っている時代に物を作ったり、ものすごい仲介料を取る人材会社なんかで働くよりも、貧困のために死ぬ人を減らすことの方が大切だよなあと思う。

だから、働いていないことが悪いっていうのは違う。自立したい人はしたらいいし、働きたい人は働いたらいいと思うけれど、それを人に強制する理由はない。仕事をしていない人は社会の役に立っていない、という考えが前提にあるから、ニートや引きこもりが生きづらい社会なんだと思う。

こんなことを書くとしんどい思いをして働いている方に怒られるかもな、って気もしないでもない。でも、本当に社会貢献がしたくて働いている人って私はそんなに見たことがないし、なんやかんや自分のために働くことの方が多いんじゃないかな。

私は、貧困にある人々のために仕事ができたらと思って就職活動をしたのだけど、やっぱりそれは厳しそうだった。ものすごくスキルがあったりエネルギーがある人だったらそれをかなえられるのかもしれないけれど、私みたいな凡人には無理だと思った。

だから少しでも私にその可能性があるという理由で大学に残るという選択肢を選んだのだけど、それは周りから見て異常な判断みたい。でも逆に、私は彼らがなぜそういう風に考えないのかを不思議に思う。自立したい、お金を稼ぎたいというのなら分かるのだけど、お金よりももっと追求したいことってないのかなあ。普通に就活していない人は変な人みたいな雰囲気って、非常に狭いものの見方でしかない。

今日人と話してあまりにもやもやしてしまったので、いつもと違う文体でつい書いてしまった。今日も空は広い。