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自分とのつきあい方―自己肯定感について考える―

自己嫌悪で辛かったり、自分に自信が持てなくて悩んでいる方へ。

「不器用」「仕事ができない」は「個性」なのだろうか?

「どんな人もその人の個性を生かせる社会にしよう。」とよく言われますよね。耳にタコができるくらいいろんな人がいろんな言葉で語っているように思います。

でも、本当に私たちは人の個性を認めようとしているのでしょうか。

それならば、「仕事ができない」という言葉で傷つくあの気持ちはなんなんだろう。どうして人間性の全てを否定されたような気になるのだろう。

そして、私は高校時代の経験から(「私の経験」に書いてあります)自分が数千人にひとりのレベルで不器用だと思っていますが、「めちゃめちゃ不器用」なのは個性なんだろうか。不器用なことにメリットなんてあるのだろうか。いろいろなこと(たとえば改札機をスムーズに通ること、人にものを手渡すこと、水をペットボトルに注ぐこと、キャッチボールetc、etc.)がうまくできなくて、喜ばれたことなんて一回もありません。ため息をつかれたり、笑って許してくれるけれど内心あきれているんだろうなと思ったり。

たとえば「神経質」が個性だというのは分かりやすいですよね。他の人をいらいらさせたり時間がかかったりすることはありますが、その分仕事をきちっと間違いなくやる、という長所にもなります。

でも人と生きるうえで「不器用」は悪いことしか生まないし、お金を稼ぐのにも不都合だと思います。美容師さんや手仕事の職人さんになんて絶対なれないし、単なる飲食のバイトでもずいぶん店に迷惑をかけました。だから「不器用」=「他人より劣っている」んだと大学生の私は考えていました。そして周りの器用な人と比較してはいつも落ち込んでいました。

書いているだけで辛くなってきた(笑)。でももう少し書いてみます。

仕事についてもそうですよね。「仕事ができる」が最上級の褒め言葉で、「仕事ができない」は最低のけなし言葉という感覚がどこかにあるような気がします。「仕事ができない」ことは個性とは認められていないですよね。仕事ができることってそんなに偉いの、と言いたくなる気持ちもありますが、一方で仕事ができる人はかっこいいなあと感じるのもやっぱり事実なわけで。

「長所になりえない個性」「悪いことしか生まない個性」をどう認めていくのか、はすごく大切なテーマだと思います。

不器用はもう完全なる短所として認め、「でもあなた(や自分やあの人)は他の人にはないこんないいところがある」と思えるのが一番いいのかな。そうやって自分を認め、人にも理解してもらえると楽ですね。

でも世の中には「不器用なのは小さいころにしっかり遊ばなかったからだ」「しつけが悪い」「本人の努力不足だ」という言説があふれていますよね。「仕事ができない」に至ってはそれこそ「努力が足りない」「コツを身に着けていない」と言われてしまう。そもそも努力不足の何が悪いのかということもありますが。

だからまずそこから違うんだ!と言っていかなければならないですね。努力で変えられない短所もあるし、だいたい自分を変えようと努力して生きなければならないなんて意味が分からない。もっとどんな人も自分らしく生きていいはずです。

周りを見ると、あるタイプの人は堂々と生きていて、あるタイプの人は自信をなくして「自分はアスペルガーかも」なんて言っていて。でも、たとえば「神経質」という個性は許されて「人と関わるのが苦手」という個性は「障がい」とされてしまう世の中ってめちゃめちゃ怖いと思います。当人にとっては障がいと判断されることで楽になることもあるのだけれど、でもその奥に潜んでいる社会的思考回路は本当に人間に優劣をつけるような考え方なんじゃないかな。

長くなってしまいましたが、もっと人が全体的に肯定されるためには、どんな人でもそれなりに生きていける社会にしなければならないと思います。世の中弱肉強食だ、とかある種の人はホームレスになって当然だ、とかそんな社会では必ずこぼれ落ちる人が出て、その人の個性というのは否定されてしまう。

そのためにどうすればいいのかは、まだ答えがなくて暗中模索という感じです。一緒に考えてもらえれば幸いです。

今日も空は広い。