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自分とのつきあい方―自己肯定感について考える―

自己嫌悪で辛かったり、自分に自信が持てなくて悩んでいる方へ。

「勝ち組」「負け組」ってなんてださい言葉だろう

今日は、直接には自分自身への向き合い方とは関係ないお話です。

「勝ち組」「負け組」って言葉ってありますよね。私はあれが嫌いです。というよりもそういう基準でしか物事や人を見ないその感覚が嫌いです。

しかし、一方で「勝ち組」になって安定した収入を得たい、「負け組」になりたくないという気持ちもゼロじゃないんです。だから、その思いを吹っ切るためにこの記事を書きます。

皆さんの「勝ち組」のイメージはどういったものでしょうか。今だったら、大企業の正社員で安定していて、残業もそんなに多くない。または自分で起業し稼いでいる。結婚していて子どももおり、家を買い子どもを大学に行かせたりたまに旅行したり趣味に打ち込んだりする余裕がある、そんな「幸せのレール」に乗っているのがいわゆる「勝ち組」のイメージなのかな、と思います。お金と暇がそこそこあって、安定していて、家族がいる。要するにそういうことなんじゃないでしょうか。

でも、私はたとえお金が稼げても正社員でも満員電車の通勤や長時間労働は嫌です。都会も嫌。おいしい食べ物を食べるのに何万円もかかるようなのだって異常だと思います。別に自分の家がほしいとは思わないし、配偶者や子どもがほしいとも思わない。

そのレールから外れようとしている私を親切心から心配してくれる方もいますが、はっきり言ってなんて狭いものの見方しか持っていない人なんだろうと思います。私立大学に通う友人も、4年生の秋に就職が決まっていなかったから周りから腫れ物扱いを受けた、と言っていました。別にそういう幸せを求めるならそれはそれでいいことだと思います。でもあなたの基準で私の幸せを判断しないでほしい。その軸でしか世の中を見られないことが「ださい」んです。

私が幸せであるために必要なものは、ある意味ではすごく少ないしある意味ではすごく多いんだと思います。

昨日の朝日新聞の朝刊の4コマ漫画「ののちゃん」で、ののちゃんがお母さんに「将来何になりたい?」と聞かれて「わからない。私が大きくなる頃には働くということが大きく変わっているらしいから」と答えるシーンがありました。これまでの働き方を追い求める実際働き方や家族の形が大きく変わっている世の中で、より手に入りづらくなったこれまでの「幸せ」を追い求めるのもひとつの生き方です。私も、そうしなければいけないんだと大学3年生頃までは思っていました。でも、もっと人は自分に素直になっていいんじゃないかな。満員電車にイライラして乗っている方が、私から見たらよっぽど異常で不幸せです。

勝手に同情しないでください。きっとレールから外れるのが怖いんでしょう?私も少し恐怖は残っているけれど、でもやりたいようにやってみようと思っています。一番ださいのは、レールの上を羨ましいと思いながらそこに甘んじることもできない自分なので。

それでは今日はこのあたりで。今日も空は広い。(坂爪圭吾さんのブログの締めの言葉「人生は続く。」がかっこよすぎて真似をしてみました)