自分とのつきあい方―自己肯定感について考える―

自己嫌悪で辛かったり、自分に自信が持てなくて悩んでいる方へ。

【ひとやすみコラム】社会と自分の関係性

毎日寒くなりますね。布団から出るのがつらくなってきました。

私は、自己肯定感は心理学だけでどうにかなるものではないと思っています。なぜかというと、自己肯定感が低い人に共通するのは「社会的な観点」で自分を攻撃しているからです。

自分を非難している自分は、世間の皮を被った自分であり、自分の皮を被った世間であると感じます。当然といえば当然でしょうか。たとえば、自分はコミュ力がない、などと悩むのは、コミュ力がないと生きていけないとされている社会だからですよね。それは社会の価値観を無意識のうちに自分の中に取り込んで、その立場から自分を見ているといえます。跳び箱を跳べないと働けない社会が仮にあったとしたら、「自分は跳び箱が跳べないからだめなやつなんだ」という人が急増するに違いありません。

でも、ここでひとつ大切なのがその社会の価値観は絶対的なものではないということです。時代によっても変わりうるし、地域によっても異なります。40年、50年前の日本ではおとなしくても仕事をきっちりとこなす人が好まれたでしょうが、今はよりサービスや営業が上手にできる人が素晴らしいとされています。また、発展途上国に行けばそこで求められるのは手先の器用さだったりするのかもしれません。その時々の経済社会がどのような性格を持つかによって変動するものだと考えています。

そんな曖昧で変わりやすいものによって自分の評価が変わるなんて、少し不思議な気がします。でも人は人から認められることが必要な生き物だと考えると当たり前のような気もします。社会からの評価ではなく純粋に自分からの評価で自己肯定感を持てればいいのですが、なかなかそうもいかなくて難しいということを強く感じます。

ただ、そんな中でも社会の別な面を見ていくというのはひとつ戦略としてありだと思います。逃避と言われればそうかもしれませんが、要領の良さよりも優しさや忍耐強さの方が必要な場面や仕事もあるということを知るだけでもずいぶん気持ちが違うのではないでしょうか。

私自身答えが出ていない問題なので少しぐだぐだ書いてしまいましたが、一緒に考えてもらえると嬉しいです。